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名古屋鞄産業の起源と沿革、及び名古屋鞄協会の誕生

明治10年
(1876年)
竹内常次郎氏 名古屋に鞄業の種を捲く
昭和25年
(1950年)
名古屋鞄協会創立(水野敬一会長)
昭和31年
(1956年)
愛知鞄創業80年大祭躍進会挙行(水野敬一会長)
昭和41年
(1966年)
愛知鞄創業90年大祭挙行(近藤信次大祭委員長)
昭和51年
(1976年)
愛知鞄創業100年大祭挙行(松本満会長)
平成17年
(2005年)
協同組合名古屋鞄協会法人化(松本孝二理事長)
中国経済視察団派遣(松本孝二団長)
ホームページ開設
平成18年
(2006年)
ショッピングサイト【なごやかばん.COM】開設
ベトナム視察団派遣
平成19年
(2007年)
香港視察団派遣
平成20年
(2008年)
鞄の世界的な工場J.H.LEE社(ソウル)韓国視察
平成21年
(2009年)
鞄等の市場動向調査のため中国(北京)視察
平成22年
(2010年)
皮革製品見本市(MIPEL)及び革かばんの工場見学のためイタリア視察
役員改選(新理事長:水野一樹氏)
平成23年
(2011年)
協同組合60周年記念誌作成(24年10月発行)
シンガポールの経済状況及びFTA製作について視察
平成24年
(2012年)
電子教科書導入状況及び電子教科書授業視察のため韓国のKERIS等を視察
平成25年
(2013年)
「尾張名古屋の職人展」で初めて〝レザーニスト2013〞浅尾美和トークショーを開催
検品体制及び工場管理状況調査のため、台中市のSOBDEAL社(皮革製造業者)台北市のニフコ社)視察
平成26年
(2014年)
マイスター制度の現況及び職業訓練校の実態調査のためオッヘンバッハ展示会などドイツ視察
平成27年
(2015年)
学校における鞄の利用実態調査のため北米(モンテ・ビスタ・クリスチャン・スクール、シリコンバレー等)視察
平成28年
(2016年)
ホームページリニューアル
信頼のマークPRイベント「ニッポンかばん展2016(名古屋会場)」開催(ナディアパーク2階アトリウム)

名古屋鞄協会は法人化を目指して、平成17年4月に『エクシブ浜松』の会議室で設立総会を行ったが、これは昭和25年(1950年)に名古屋鞄協会の創立総会を行って以来、ちょうど55年目のことであった。
この協会の草創期を振り返ってみることで、名古屋鞄協会の沿革を見てみよう。

前史

名古屋鞄協会は戦後の混乱期を経て、昭和25年に創立総会を行っているが、名古屋鞄産業の〈起源〉と〈沿革〉を見なければその実態を掴むことはできない。そこで明治の初めまで遡って見るとしよう。

「一人の旅人が、往く旅の傍らに、不用意に捨てた一粒の種が、やがて芽生えて世にも希な美しい花を咲かせた。名古屋の鞄産業は、その起源を調べてみると、そうした奇しき縁の星の下に生まれたものであった。」(名古屋鞄協会発行『愛知鞄90年史』)

市内東郊の霊地、覚王山の一角、森閑とした丘の上に古い碑がたっている。この碑の主こそ、先の一人の旅人こと、竹内常次郎翁その人である。翁こそ、名古屋鞄産業の始祖なのである。
「東京や大阪に鞄業が興ったのは、明治維新の暁の鐘の音と共に、欧米の文化がどっと流れ込んで、欧米人が持ってきた携帯具、欧米に旅をした役人や留学生あるいは商人が持ち帰った携帯具、それが余りにも便利なところから、馬具など皮革製品を専門としていた職人が盛んに模倣して造った。それが《かばん》であり、やがて鞄産業を創成したものであったが、名古屋の鞄の起こりは東京や大阪とはその趣を全く異にしているのである。」
名古屋にふと立ち寄った竹内翁が、そこを 寓居とし、名工としての技術を集まってきた若者たちに熱心に教えたことが、ことの始まりだったのである。

このように、名古屋の鞄産業を語る時、この恩師である竹内常次郎氏を抜きに語ることは出来ない。竹内翁は幼少の頃から皮革製品の製造を修めたもので、この道では希代の名工であり、得がたき達人であったと言われる。徳川幕末時代、年は若かったが馬具の製作にかけては並ぶものが無く、諸大名から注文を受けた出入りの問屋が、当時競って青年工竹内にその製作を依頼したものだったという。

やがて時代は一変して、明治の黎明期は名工に大きなショックを与え、時代の激変は彼を大いに悲しませたようである。その後数年を経ずして、竹内翁は東京を去り旅に出る。「安住の地を求めて・・・翁の流浪の旅は東海道を下った。名古屋に辿り着いた若い翁が、名古屋に居を構えたのが明治10年、そして東京で手がけた鞄の製造を始めた。」

竹内翁が名古屋に腰を下ろして、鞄業の基礎を築いたのは25年に亙った。名人気質で凝り固まった竹内翁は、名古屋の地に産業としての鞄を植え付けることに専念、鞄の製作を修行しようとして門をたたく若い人々を喜んで迎え、鞄工の技術を教えた。10年ほど後の明治20年、そのころ7~8人のメーカーが出来た。いずれも竹内翁の元で技を修めた人々である。またその頃に鞄業や鞄材料商の人達も商売を始めている。
一方、その頃東京や大阪で組合活動が活発に行われるようになり、名古屋でも「鞄盛会」という団体が旗揚げする。このときのメンバーは22名を数えたと記録にあるが、これがこの業界の団体としての初めてのまとまった会であったのである。
後、大正8年まで下るが、組合法による名古屋鞄商工組合が発足した。この時、組合員35人であった。初代組長(この時は組合長と言わず組長と言った)は服部頼之助、二代目は木村仁兵衛、以下小川新策、丸山浅吉、大橋長太郎、水野敬一の各氏と続き、いずれも古い経験を持った業界の有力者が次々と組長に選ばれて、それぞれ指導者としての役割を果たしてきた。この組合は、以降20年間にわたって名古屋鞄業会の中心となって業界を牽引したと言われる。

この後、時代は戦時統制時代に入っていくが、昭和13年には名古屋鞄工業組合が設立された。組合員37人、役員は理事長=稲吉与三郎、専務理事=大橋七三郎、以下、浅井忠一、立石吉良、加藤燦也、田中正直氏、名倉繁十郎の各氏等であった。
昭和14年には名古屋鞄卸商業組合が設立された。組合員は水野敬一理事長以下、佐藤謙一、丸山浅吉、石原半左衛門、堀田一一、寺井政勝、板橋 春吉、大口愛吉、中島健一、徳永憲一、稲吉与三郎、大橋七三郎、田中正直、立石吉良の計14氏だった。

名古屋鞄協会の発足

戦時中の統制組合から協同組合に移行され、昭和22年には一時的だが愛知県鞄嚢商工業協同組合となった時は配給会社は既に解散していたが、この時の理事長は水野敬一氏であった。翌23年には工部と商部に別れ、愛知鞄卸商業協同組合、愛知鞄製工業協同組合となって、前者は水野敬一氏が後者は稲吉与三郎氏が理事長として、戦後混乱の業界をよく指導、育成した。
昭和25年3月に皮革使用制限令が解除され、5月には価格統制が撤廃された。そのすぐ後の25年7月に名古屋鞄協会が生まれた。役員は次の通りだった。
会長=水野敬一、副会長=佐藤謙一、田中正直、評議員=大橋七三郎、近藤信次、松本満、阿部彦三郎、相談役=稲吉与三郎、桑山一夫、参与=田波省一
この協会の設立趣意書には、その設立の目的と経緯が見えるが、鞄関係業者が一体となって同業の連絡を図り、業者共通の問題を処理して業界の円滑な発展を期するため、愛知県内の鞄の製造業者、卸業者、小売業者及び原材料の取扱業者をもって名古屋鞄協会を設立するというのが趣旨の様である。
名古屋鞄協会設立に当たり、初代理事長の水野敬一氏が「名古屋鞄協会はどんな理由で設立されたのか」の一文を発表しているが、その中で次のように訴えている。この趣旨は今も生きていると言っていいだろう。
「鞄というものを中心に生活を得ている吾人は商も工もない、皆が一緒になって研究し、より以上、良心的な鞄を消費者に出してこそ鞄人の本分を完うするというべきで、理屈抜きに“鞄関係の人はみんな集まれ! そしてともに仲良く生きていこう”、というのが名古屋鞄協会の姿であります。何卒、業者各位にはおおらかな気持ちで皆さんそろって一人も漏れなくご加入くだされんことを希望致します。」

この後、東京鞄協会、大阪鞄協会、名古屋鞄協会の三団体をもって日本鞄協会を設立することになり、昭和26年1月、東京の上野精養軒で設立総会が行われた。これが名古屋の、そして日本の新しい鞄業会のスタートであった。

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